パリジェンヌ

f:id:parisloverule:20210812172939j:plainパリジェンヌ。Parisienne. 文字通りの意味は、「パリに住んでいる女性」。パリに住んでいる男性ならば、「パリジャン」。パリに住んでさえいれば、パリジェンヌ?文字上は、そう。だけど、それだけじゃ不十分。人は、パリジェンヌとして生まれるのではなく、パリジェンヌに「なる」のだ。どうやって?どうしたら?フランス革命時、パリからヴェルサイユまで行進して革命の火ぶたを切ったのも、パリのパン屋の女将さん達。れっきとしたパリジェンヌ達だ。フランス革命前からファッションの中心だったパリ。今もそれは変わらず、パリコレクションは、ミラノやニューヨークとは別格のファッションの中心地。世界中からモデル達が集まり、明日のスターモデルを夢見て、多くの国から若い女性達が集まる。それに惹きつけられ、男性も集まる。古くから外交と社交の言語であったフランス語。多くの植民地もあったから、フランス語は大きな文化圏を形成していて、パリはその中心だった。パリの人口は、パリ生まれの生粋フランス人が三分の一、旧植民地などフランス語を母国語とする地出身者が三分の一、外国人が三分の一。三分の一しかいないのに,学校の「歴史」の時間で教えられるのは、フランスの歴史のみ。「フランスの歴史」を学べば、自然に「周囲」の国の歴史も学ぶことになるから! なんという「🇫🇷フランス中心主義」なのでしょう!「日本史」と「世界史」が明確に分かれてる日本とは大違い!

そんな国の首都、中心、のパリに生まれ育ち、あるいは移住して住みついたパリジェンヌ達。この世界の中心で、恋愛が人生で一番大切だと胸を張って言い切る人達の中で、どんな恋愛を?誰も知ってる人がいないひとりぼっちの留学生から始まったパリジェンヌ生活。

気づけば、フランス人ですらなかなか知り得ない世界や人々にも出会い、どっぷりとパリ生活に染まって、立派なパリジェンヌになってた。

観光客、語学学校生、美術分野留学生、と時と共に少しずつ変化しつつも、変わらないのは「パリジェンヌ」ということ。途中、ほんの少しだけモネガスク=モナコの住人 になりそうだったけれど、パリの街並みが恋しかった。

パリへの恋が強すぎて、そのモナコの人との恋愛は終わってしまったほど。

パリに戻り、モードに携わることになり、パリのモード界の一番華やかな部分と、「闇」の部分と、両方知った。それは料理界も同じで、どこにでも日本人の縁の下を支えている人達がいた。

ヴェルサイユ宮殿にあるような18世紀のフランスアティーク家具を専門にしたため、一般的なフランス人よりも、フランスの奥深くに携わって、そこからフランス社会を見ることになった。それなのに、ある日カフェの朝食で目にした恩師の贋作事件。恩師であるだけでなく、大恋愛した元彼でもあったから、本当に晴天の霹靂以上の衝撃。一体なぜ? 

ニューヨークのテロ、シャネルのカール・ラガーフェルド氏の破産、エポック・メイキング的な出来事が私達の前を過ぎていった。スマホSNSはなかったから、ニュースの伝わり方が違った。彼自身の贋作事件も、新聞で目にした。なんだか一つの時代が終わった気持ち。

パリ生活の一部ともいえるノートルダム大聖堂が焼失。みんなの思い出が詰まった、パリの大聖堂。ニューヨークのツインタワーの崩壊がニューヨークっ子に与えた衝撃同様、ノートルダムはパリっ子に大衝撃を与えた。形あるものは、いつかなくなる。パリも? でも、パリジェンヌはなくならない。パリジェンヌは形あるものじゃなくて、パリジェンヌという魂。パリジェンヌという気概。パリジェンヌは永遠❣️

そんなパリジェンヌの恋愛。時代が変わっても、パリジェンヌから学ぶことはたくさんあることでしょう❣️