サンジェルマンの調香師3

一緒に住み始めたものの、すぐに問題が出てきた。すでに、早期リタイアに近い彼は、週に2、3度ちょっと会社に行くだけで、人生を楽しみたいステージ。かたや私は、大学卒業後の就職はうまくいかず、後がないから、かなり真剣。それに、フランス語がほとんどできない状態で入学してしまったから、復習だけで大変!専門用語満載だから、それは彼がいうような、「フランス人と会話」してるだけでは、全然間に合わないのである。

そして、離婚というか、法的に正確には「別居」という状態になる「元妻」との間にできた娘は、父と母の間を行ったり来たり。元妻は、月に一回生活費をもらいにくる。娘の学校でのことなんて、私には関係がないし、ある意味どうでもいい。少なくとも、「今」は。だけど、娘がいるときは、夕食時、そして夕食後は、そういう話題の「家族会話」に参加しないといけない。大学受験勉強並みに勉強しないと、授業についていけないから、私は食事が終わったら、さっさと勉強しにいきたい。人間、環境が変わることは、大きなストレス。たとえそれが結婚や昇進などプラス方向の変化であっても。ある晩、ディナーを食べ終わり、団欒タイムに入った。また私のわからない学校か友人の話題になっている。聞いていてもわからないし、宿題も気になる。

なので、私だけ先に部屋に戻った。せめて復習をしようと思って。

 

次の日、真剣な顔をした彼に言われた。

「アイム ノット ハッピー エニモア。」

I'm not happy any more. 
もうハッピーじゃない。。。

 

もう続けられない、と。

 

胸がドキドキする。突然の言葉に、悲しみというよりは、衝撃。

 

でも、そう言われて気づいた。

 

 

私もハッピーじゃなかった。。

 

 

サンジェルマンの調香師2

「アイム パフューム デザイナー」

と自己紹介してきたその男性。

初めて聞く職業だけど、フランスらしい職業の調香師の男性だった。あまりフランス人ぽくないお顔?後で聞いたところによると、イタリア系なのだそう。南仏の香水で有名な町、グラースの出身。南仏のイタリア系出身ということは、裕福でない人が多いが、その時は、あまりわかってなかった。英語ができる人だったので、英語で会話が弾む。彼は、調香師で、かなりトップクラスの、「ネ(nez 鼻」と呼ばれるトップクラスの調香師だった。

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若い頃は、モデルをしていたこともあるそう。拙いフランス語で、ここ数日まともな会話をしてなくて、人恋しくなっていたのだろう、ついつい色々話してしまった。よく考えたら、これはパリのフランス語学校にもう通い始めた頃です。語学校の手配で、フランス人家庭にームステイしてた頃。アメリカのホームステイと違って、ヨーロッパのホームステイは、どちらかというと、間貸し感覚が強い。文化交流やボランティアではなく、家賃収入を期待する気持ちが強い。私がステイしていた家も、元貴族の家だったけれども、お食事も質素で、あまりホストと交流がたくさんあるとは言えなかった。他にも2、3人学生がいて、バスルームをシェアしているので大変だった。南仏での50代のアメリカ人女性とのアパルトマンシェアに引き続き、知らない人達複数とのシェアで、少々疲れていた。彼には、今は、語学学校のアレンジでホームステイしていること、10月から別の学校に行くこと、などを話した。そうしたら、

「うちにホームステイすればいいじゃないか!僕には娘がいるから、僕のところだってフランス人家庭だよ❣️」という強引な論理で提案してきた。

ええ〜っ?!😮 

た、確かにそうだけど😅

今にして思うと、なんでついていってしまったのかと思うけど、悪い人ではないことは、なぜだかわからないけど、わかってた。そして、彼のルックスは、めちゃくちゃ好みだった。大学生のときに付き合った日本のメンズモデルのハシリの人と同じぐらい🥰

そうして向かった先は、

高級住宅地と言われてる16区。閑静なエリア。今いるところと全然違って、明るく新しい感じ。

彼のアパルトマンのインテリアは、アールデコスタイルで統一されていた。f:id:parisloverule:20210812225400j:image

 

 

 

サンジェルマンのナンパ香水師1

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南仏のフランス語学校でクラスメートになった外務省の語学研修中の友人が、夏の間は、パリに戻らないから、とサンジェルマンのアパルトマンを貸してくれた。私が夏の間にやることは、2つ。南仏でもサボりまくっていたフランス語を少しでも勉強するのと、秋からの留学先である、オークション会社クリスティーズの学校に手続きしに行くこと。

赤茶色のレンガとクリーム色のペンキに塗られた柱のロンドンの、重い街並みに比べ、白っぽい石造の建物に、落ち着いた灰色がかったブルーの屋根が基本のパリの街並み。整然とした美しさがある。建築家の叔父は、パリの街並みは冷たい、と言って、イギリスに方を好んでいたけど、私は断然こちら。昔から「かわいい」より「きれい」が好き。ちっとも冷たい感じなんてしない。むしろ、整然とした美しさが心地よく、歩いているだけで、幸せな気分!

そのうれしい気分は、知らず知らずに、身体の中から、外に溢れ出ていたよう。

「ボンジュール!」

いきなり話しかけられた。何か用事があるわけでも無さそう。無視、無視。

マドモワゼル、何しに行くの?」「どこに行くの?」

黙ってると、どんどん話しかけてきて、うっとうしい。

「僕は、ジェラール。香水デザイナーなんだ。」

「それが、何か関係があって?」

と思わず言ってしまったら、

「hahahahaha‼️」

と大きな声で笑われた。びっくりして、思わず足を止めてしまった。

 

パリジェンヌ

f:id:parisloverule:20210812172939j:plainパリジェンヌ。Parisienne. 文字通りの意味は、「パリに住んでいる女性」。パリに住んでいる男性ならば、「パリジャン」。パリに住んでさえいれば、パリジェンヌ?文字上は、そう。だけど、それだけじゃ不十分。人は、パリジェンヌとして生まれるのではなく、パリジェンヌに「なる」のだ。どうやって?どうしたら?フランス革命時、パリからヴェルサイユまで行進して革命の火ぶたを切ったのも、パリのパン屋の女将さん達。れっきとしたパリジェンヌ達だ。フランス革命前からファッションの中心だったパリ。今もそれは変わらず、パリコレクションは、ミラノやニューヨークとは別格のファッションの中心地。世界中からモデル達が集まり、明日のスターモデルを夢見て、多くの国から若い女性達が集まる。それに惹きつけられ、男性も集まる。古くから外交と社交の言語であったフランス語。多くの植民地もあったから、フランス語は大きな文化圏を形成していて、パリはその中心だった。パリの人口は、パリ生まれの生粋フランス人が三分の一、旧植民地などフランス語を母国語とする地出身者が三分の一、外国人が三分の一。三分の一しかいないのに,学校の「歴史」の時間で教えられるのは、フランスの歴史のみ。「フランスの歴史」を学べば、自然に「周囲」の国の歴史も学ぶことになるから! なんという「🇫🇷フランス中心主義」なのでしょう!「日本史」と「世界史」が明確に分かれてる日本とは大違い!

そんな国の首都、中心、のパリに生まれ育ち、あるいは移住して住みついたパリジェンヌ達。この世界の中心で、恋愛が人生で一番大切だと胸を張って言い切る人達の中で、どんな恋愛を?誰も知ってる人がいないひとりぼっちの留学生から始まったパリジェンヌ生活。

気づけば、フランス人ですらなかなか知り得ない世界や人々にも出会い、どっぷりとパリ生活に染まって、立派なパリジェンヌになってた。

観光客、語学学校生、美術分野留学生、と時と共に少しずつ変化しつつも、変わらないのは「パリジェンヌ」ということ。途中、ほんの少しだけモネガスク=モナコの住人 になりそうだったけれど、パリの街並みが恋しかった。

パリへの恋が強すぎて、そのモナコの人との恋愛は終わってしまったほど。

パリに戻り、モードに携わることになり、パリのモード界の一番華やかな部分と、「闇」の部分と、両方知った。それは料理界も同じで、どこにでも日本人の縁の下を支えている人達がいた。

ヴェルサイユ宮殿にあるような18世紀のフランスアティーク家具を専門にしたため、一般的なフランス人よりも、フランスの奥深くに携わって、そこからフランス社会を見ることになった。それなのに、ある日カフェの朝食で目にした恩師の贋作事件。恩師であるだけでなく、大恋愛した元彼でもあったから、本当に晴天の霹靂以上の衝撃。一体なぜ? 

ニューヨークのテロ、シャネルのカール・ラガーフェルド氏の破産、エポック・メイキング的な出来事が私達の前を過ぎていった。スマホSNSはなかったから、ニュースの伝わり方が違った。彼自身の贋作事件も、新聞で目にした。なんだか一つの時代が終わった気持ち。

パリ生活の一部ともいえるノートルダム大聖堂が焼失。みんなの思い出が詰まった、パリの大聖堂。ニューヨークのツインタワーの崩壊がニューヨークっ子に与えた衝撃同様、ノートルダムはパリっ子に大衝撃を与えた。形あるものは、いつかなくなる。パリも? でも、パリジェンヌはなくならない。パリジェンヌは形あるものじゃなくて、パリジェンヌという魂。パリジェンヌという気概。パリジェンヌは永遠❣️

そんなパリジェンヌの恋愛。時代が変わっても、パリジェンヌから学ぶことはたくさんあることでしょう❣️




パリジェンヌの恋愛ルールレッスン

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パリのイメージは? ファッション、グルメ、芸術。。色々な顔があると思うけれど、その源は「恋愛!」パリの文化の全ての源は、恋愛なのです。恋愛のためにグルメがあり、恋愛のためにあらゆる芸術があり、政治だって、恋愛が源。恋愛で一国の政治が左右される。そんな街、パリに生きている女性達ーパリジェンヌは、もちろん恋愛の達人であり、専門家であり、恋愛そのもの。そんな彼女たちから学んだこと、学ぶうちにいつのまにか自分もパリジェンヌになっていたこと、パリでしかありえないようなこと、パリジェンヌにしかありえないこと満載のパリの恋愛ノート💕